例えばそんな考えこそが思春期特有のこじれた妄想であるとは分かっていても、
自分にとって既知の情報である事を彼女が把握していたとして、
故意にその会話を聞かせ、意識させている―――、そんな巧妙なトリックなのであれば、
柳生はまんまと策にはまった形になる。

それは中学2年の春先の事だった。
たまたま教室に居合わせた授業の合間の休み時間、自席の近くで繰り広げられていた女性徒達の会話だ。

「@@@の好みのタイプってどんな人?」
「んー・・・難しいなぁ。あ、でも趣味の合う人がいいかも。同じ話題で盛り上がれるし」
「例えばー?」
「人生、宇宙、すべての答え・・・とか?」
「はぁ?」
あまりにも的外れな彼女の答えに、周囲の女生徒たちはみな一様に顔を顰めた。
「ほら、みんなポカーンてする!SF好きなら知ってるって!」

―――そういう事ですか。
自己弁解をするようだが、決して盗み聞きしたわけではなくたまたま耳に入ってきたその会話に
柳生は思わず口元に笑みを浮かべた。
中学生で銀河ヒッチハイクガイドとは、なかなかどうして渋い趣味だ。しかも女性ともなれば尚更。
おそらくあの本、若しくは映画の方だろうか、どちらにせよあの作品に触れた者の
おおかたの感想はこうだ。「わけが分からない。」
しかしながら、いま尚カルト的な人気を誇り、全世界で約1,600万部が売れたという
その実績を鑑みれば、その独特すぎる世界観を楽しめる者とて少なからず居る事になるだろう。
少なくとも、この教室内に2人。彼女と、そして柳生だ。

言われてみれば成程確かに、彼女は随分な読書家らしい。
教室でも合間合間に手持ちの文庫本を読んでいる姿をしばしば見かけた。
週に何度か図書室にも足を運んでいるらしい。
SF以外にどんな本を読むのだろう?
互いの好きな本を薦めあったり、共通の本の話題で会話をしてみたい―――
気付けば渦中にはまっていた。
柳生は「同じ話題で盛り上がれる人」となるチャンスを俄かに待ち構えていたのだ。
とはいえ同じクラスである以上、会話の糸口位いくらでもある。
そう棚上げしたままゆるゆると季節は巡った。
最大の問題は、どうやって彼女からその問いを引き出すか。
『人生、宇宙、すべての答えは?』

そうして何の進展もないまま、3年に進級した。
と同時にクラスが離れ、あまりにもあっけなく彼女との接点が消失した。
これでより一層会話のチャンスもなくなるだろう。自分でも意外なほど冷静にそう思う自分が居た。
さほど本気で自身の微かな恋心を叶えようだとか進展させようだとか言う気がなかったのだ、
ただ同じ趣向を持つ相手がここにも居ると、自己顕示したかっただけなのかも知れない。
そんな適当な解を自分に言い聞かせて蓋をした。
実際、部活でそれどころではなかったと言うのもある。
とにかくそ知らぬ顔で毎日を過ごす事に専念した。
けれど現実は3年間背負ってきたその大きな目標を打ち砕き、中学最後の夏が終わった。
ああ無常。

夏服が冬服に変わる頃、久しぶりに図書室で見かけた彼女は、相変わらず静かに本を読んでいた。
最終下校時刻が近い。図書室には自分と彼女以外に人影は見当たらなかった。
静寂を重んずべき場所である事は重々承知だが、互いしか居ないのであれば、多少の会話は許されるだろうか。
吸い寄せられるように、彼女に足が向いた。

「お久しぶりですね」

控えめに声をかけると、手元の文字列を追っていたその目がゆっくりと向けられる。睫毛が上下した。

「柳生くん」
「邪魔してしまいましたか?」
「ううん、もうそろそろ帰らなきゃいけないとは思ってたから」

最終下校時刻は認識していたらしい。集中を遮ってしまわなかった事に小さく安堵した。

「2年の頃も、よく本をお読みになっていましたね。」
「そんなにハイペースじゃないよ。・・・柳生くんだって、部活あるのに本もよく読んでたじゃない」

驚いた。自分が彼女を見ていたように、彼女もまた自分を見ていたのだろうか。
曇り硝子の嵌められたレンズの内側で、目を見開く。上手く覆い隠せているだろうか。

「ねぇ柳生くん。おすすめの本があったら、教えてよ」

同じクラスだった頃、何度もシュミレーションした問いが、今更になって彼女の口からこぼれ出る。
「――銀河ヒッチハイクガイド」
今度は彼女は驚く番だ。大きな瞳が見開かれる。

「・・・もしかして、知ってるの?『人生、宇宙、すべての答え』」

何故だか自然に体が動いた。踏み出したこげ茶の革靴が、リノリウムの床に硬質な足音をたてる。
絹糸のような彼女の髪をするりと撫でて、その足元に跪いた。

――もちろんですとも。

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~Fourty two~